光人社「伊号潜水艦ものがたり」

以前に同社から単行本として刊行されていた「続・潜水艦気質よもやま物語」を改題のうえ文庫化した光人社NF文庫の一冊です。本シリーズで潜水艦を題材としたものにはイ41潜水艦艦長などを歴任した板倉光馬少佐による著作がありますが、本書を著した槇幸氏はやはり様々な艦艇を乗り継ぎ海軍兵曹長として軍歴を終えた方であり、下士官としての視線で潜水艦運用の実際や現場の雰囲気、乗員の気質など様々な「四方山話」が物語的に記述されます。


氏の立場として独特なのは昭和19年2月以降トラック島で第6艦隊司令部付として勤務したことであり、一下士官とはいえ管理運用の面から潜水艦に携わったことが挙げられるでしょう。幅広い視点や読みやすい筆致は何も軍歴だけでなく、当人の気質に依るところが大きいだろうと思われますが、著者本人が見聞きした事実、同僚から得た証言などの様々なエピソードが、短くそして数多くまとめられています。なかでもやはり第6艦隊司令部付であった時期に遭遇した、昭和19年4月4日のトラック島での空襲に関する記述は本書に於いてかなり重要な位置を占めます。

既に同年2月17日に大規模な空襲被害を受けていたとはいえ依然として日本海軍の勢力範囲であったトラック島、4月4日当時も第6艦隊司令部麾下に配属された伊号第一六九潜水艦が水中聴音機の交換や調整など様々な整備作業の途上でした。空襲の報を受けた同艦は潜水艦一般の避退行動として湾内に緊急潜行、しかしその過程で浸水事故が発生し二度と浮上することはなかったのです。数多の書籍ではわずかに触れられるのみのこの出来事が、しかし司令部付下士官として直接作業にも携わっていた著者にとっては重大な事件であり、当時の必死な救助作業や連日の空襲、荒天の影響でそれを断念せざるを得ない様子が赤裸々に語られます。懸命に収容された一部の遺体状況から推察される艦内の最期状況などもまた、潜水艦勤務の過酷な実態を今に伝えます。平時に在っても難儀である潜水艦救難活動が、ましてや戦時下に於いてはどれほどの困難であることは想像に難くないものではありますが……

戦況悪化著しい中第6艦隊司令部は後退が決定しイ16潜には爆破処分が決定されます。槇氏はその後内地勤務となり呉で終戦を迎えるのですが、昭和20年3月17日の呉軍港空襲についてもわずかながら記述がありました。この攻撃では日本海軍の多くの残存艦艇が甚大な被害を受けるのですが、トラック空襲同様戦争の帰趨を変化させるものではなく、やはり語られることの少ない事件です。大局にあっては些末な事柄でも、現場の当事者としては重大な出来事である。類書は様々ありますが、そのような視点の違いを感じさせる一冊でした。

底本がいわゆる「よもやま物語」シリーズの一冊であったため、文庫化された本書にもユーモラスなイラストが数多く収録されています。挿絵を担当したカゴ直利氏については不勉強ゆえ詳しい業績を存じ上げないものなのですが、時にシリアスに時にコミカルに、様々に描かれるイラストはしばし目を休めページをめくる手を早めてもくれるもの。平易な文体と共に読み易さ、理解のし易さを第一に捉える構成は「よもやま物語」シリーズの特徴がそのまま受け継がれています。


ちょっと小沢さとる風味を感じるのはものが潜水艦ネタだからかな?

爆破処分が下されたと思われていたイ169潜が、戦後四半世紀を経てほぼ無事な姿を海底に残存していることが奇跡的に発見され、遺骨収集と慰霊行事に向けて奔走する様が本書後半の大部分を占めます。その記録こそ本書が今に残り文庫化されて広く読まれる価値を持つものと考えますが、此所では多くを触れますまい。実際に手にとって読まれてこそ心に残る「ものがたり」だろうと思います故に。

いまどきでは伊号潜水艦といえばスクール水着の女子児童を思い浮かべる人も多かろうと思います。イ169の同型艦も艦娘の一員となって人々を楽しませてくれますね。それも決して悪いことではないのでしょうが、そのような「遊び」が出来るのも様々な「史実」の積み重ねがあればこそ。太平洋戦争下での潜水艦運用の実態を知るには手に取り易い一冊で、夏の合間に海洋に思いを馳せてみるのは如何でしょうか?。


ところで潜水艦の艦内で汚物や残飯を蓄積しておく容れ物(石油缶の上を切ってゴミ箱様にしたもの)として常備されていた容器のことを「チンケース」と読んでいたそうなんですけど、これって夏の薄い本のネタになりませんかね?

(しみじみした話をヒドイ締めでまとめるテスト)

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