モデルファクトリーヒロ「ジョーホンダ F1 パイロットシリーズ #01: アイルトン・セナ」

これまでマシンやグランプリに焦点をあててきたモデルファクトリーヒロ刊行のジョー・ホンダ写真集に新しくドライバー個人にフォーカスしたシリーズが加わりました。第一弾となるのは日本でもおそらく最も多くのファンに愛されたであろう、アイルトン・セナです。

ある世代の方々にとってはF1の代名詞ともいえる人物ではないでしょうか。1980年代から90年代にかけてのいわゆるF1ブームが日本にあった時代にグランプリを大きく牽引し、鮮烈に去っていった偉大なドライバー。その軌跡を振り返る写真集です。


1984年にトールマン・チームから出場したデビュー戦を皮切りに、掲載写真はアイルトン・セナの走りと様々な表情を追っていきます。


JPSとキャメルカラーの対比も鮮やかなロータス時代、


3度のワールドチャンピオンに輝くマクラーレン時代、


そして3戦のみのドライビングとなった1994年のウイリアムズ時代。この10年間の記録写真を振り返れば、その眼差しがどれほど円熟の度合いを増しても、ブラジルカラーの黄色いヘルメットは積極果敢な攻めのドライビングを象徴するシンボルとして、変わらずサーキットに在り続けました。


10年という期間はあまりに早く過ぎ去るものであり、また10年という期間は第一線で走り続けるには長い年月でもあったでしょう。そのときセナが何を思い何を考えていたのかは当人以外には決してわからぬことではありますが、すぐれた写真にはほんのわずかな一瞬のショットでもその心情を慮り共感を呼ぶような、そんな力があるものです。


1989年スペイングランプリでの表彰台の一枚、優勝を飾り中央に立っていても同僚アラン・プロストとの微妙な距離感、視線の先に所在無さげに立つフェラーリゲルハルト・ベルガーの様子はまるで翌年の3人の関係を暗示するかにも見えます。見る側の過度な感情移入や「物語」を作り上げてしまう危険性はあるにせよ、この一枚の写真にはそれだけのパワーが確かにあります。


それにしてもこの時代のF1ドライバーって現在のメンバーよりもずっとキャラが立っているような印象を受けます。現実の人間に付与される「キャラクター性」こそテレビや雑誌などのメディアが作り上げる、ある意味虚構のものなのかも知れませんが……


やっぱりナイジェル・マンセルってキャラが立ってる人だと思いますよ?ほかにもデビュー当初のジャン・アレジやすげえ若く見えるミカ・ハッキネンなどそこかしこに懐かしい面子が見えるのは、当時を知る立場としては楽しいものです。


1988年オーストラリアグランプリにて互いの健闘を称えあうセナとプロスト両名。こと「対決」や「確執」を軸に語られるこの二人にも、このような時代があったことを記録は語ります。もしもふたりの友好関係が維持されたままのドライビング、マクラーレンのチーム運営が続いていれば、往時のF1グランプリの様相はまったく異なる姿になっていたでしょう。果たしてそれが「面白い」レースであったかどうかを考えるのは、いささか残酷なことではありましょうが。

ともかく歴史にIFは無く、1994年5月1日にこの偉大なチャンピオン、歴史に残る偉業を成し遂げたドライバーは還らぬ道へと進んで云ったのです。


事故死直後のモナコGPに於ける追悼場面を撮影したフォトは有りますが、セナ本人の写真は直前のパシフィックGP、日本のTIサーキット英田で撮影されたものが最後になります。新チームに移ってもマシンは不調、開幕戦でのリタイアを受けて決して万全とはいえぬ不安そうな表情を、いささか場違いな「セニーニャ」のキャラクターTシャツが却って煽っているようにも見えます。その不自然さや違和感を、写真は冷徹に記録しています……


セナがF1を走ったのが10年間、セナが亡くなってから20年。歳月が過ぎるのはどんなF1マシンよりも早いものです。


いささかしんみりした読後感になってしまうのは致し方ないことですが、それでも一箇所思わず笑ってしまうような、非常に巧みな編集レイアウトがありました。こういう遊びは大歓迎で、よい写真を撮るだけでなくそこから何を選びどのように配置するかが優れた写真集には大切なのです、いやまったく。


末尾ながらミハエル・シューマッハの退院報告に安堵しつつ、一日も早い回復を願います。

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