タミヤ「1/35 アメリカ軽戦車 M41ウォーカーブルドッグ」

初版発売が1975年2月といいますから相当のベテランキットとなります、タミヤのウォーカーブルドッグです。

初期ミリターミニチュアのラインナップには明文化されたものではないにしろいくつかの傾向がみられるのですが、本製品は差し詰め「世界の軽戦車」とでもいうべき一連のグループ・価格帯に属するアイテムです。II号戦車やM3/M5軽戦車、はたまたM13中戦車や九七式中戦車など小型且つ安価に入手出来た戦車模型の数々は入門用には最適で「はじめての戦車プラモデル」にこのあたりのものを手に取ったひとも多いのではないでしょうか。


シリーズNo.的には前後をIV号H型とタイガーI(いずれも旧版)という超メジャーアイテムに挟まれていささか影の薄い存在ですが、かの「少年モデラー大河」がはじめて作ったのがこのキットでした。そのネタ覚えてる人も少なそうだけどな……


パーツを共用してリモコン/シングルのモーターライズ版を発売するのはこの時代の特徴ですが、ウォーカーブルドッグの場合は先にモーターライズ版のキットがあり、車体上部や砲塔の金型改修を施してMMに組み込まれたという経歴があります。その後さらにMMのパーツ構成で新パッケージのモーターライズ版が出る流れなど、一連の製品展開については松井康真氏や平野克己氏の著作に詳しい記述があります。(1982年発売のシングル・ゴムキャタピラ版のキットは珍しい写真パッケージで当時のラジコンブームを反映するかのようです)


シャーシー下部や足回りを共有化してバリエーションキットの展開もこの時期よく行われ、本キットのバリエーションとしてはM42ダスター自走対空砲が存在します。ダスターは長らくモーターライズ版のみが販売され続け、90年代になってようやくMMに編入されたという面白い(?)存在のキットではあり。


古いキットでありますしパーツは少なめ、ディティールは控えめです。現在ではAFVクラブから素晴らしい出来のM41が発売されていますから精密さを求めるならそちらが決定版、しかしキット開発年代も設計思想もこれだけ違っていれば十分バッティングを避け、それぞれのニッチで市場に存在できるという良い例なのかも知れませんね。AFVクラブとほぼ同時期にリリースされたスカイボウ/オクノ版のM41は淘汰吸収されてしまいましたから……


フィギュア関連はZランナーにまとめられています。モーターライズのキットでは省略して価格調整の出来るランナー枠があるのも、この時期の製品構成の特徴かな?


古式ゆかしい焼き止め式のベルト履帯とポリキャップ。第二次大戦前から先進的なダブルピン履帯を装備していたアメリカ戦車が戦後になってシングルピン履帯を使用するのもなんだか不思議な気がしますが、現代でもM2ブラッドレー系列などはシングルピン履帯を巻いてるのですな。


デカールは3パターン、陸上自衛隊2種(第12師団及び富士学校教導隊)米軍1種(第5師団?)が付属します。ボックスアートでは米軍仕様を描きながらデカール自衛隊のものが多いのは、このM41ウォーカーブルドッグ軽戦車が米軍供与車両として陸上自衛隊に合計147両配備され「日本の戦車」として親しまれていたことの現れでしょう。ウォーカーブルドッグのプラモデル化もタミヤでは1964年の初代モーターライズキットにまで遡ることができますし、その他にも日本ホビーやニチモなど多くのメーカーから様々なプラモデルが発売されていたM41軽戦車は60〜70年代に於ける著名な戦車のひとつでした。ちょっと今では想像もつかないことですが……。


上述したようにシンプルなパーツ群ではありますが、1975年のMM編入にあたって溶接痕や砲塔フックの別パーツ化などのディティール追加が行われています。当時のプラモデルとしては精密なもので、現在に至るまでカタログ落ちせず販売が続けられているのはこの時の処置のおかげでしょうか。IV号やタイガーのように90年代にリメイクされる機会を逃したこともまた事実ではあるのですが。


エンジングリルなんて今見ても十分綺麗なディティールが入ってます。近年の「ガールズ&パンツァー」人気のおかげでタミヤの古い低価格帯アイテムに再評価の機運が高まったりもしたのですが、第二次大戦から外れた本車はそこからも漏れてしまって「悲運の名キット」でもある……。


長きに渡ってこのキットの魅力を一番評価していたのはリモコンやRCなど「可動模型」派の方々なのかも知れません、歴代ウォーカーブルドッグのプラモデルは実によく走ったものだと、よく話には聞きます。


今回基本は素組で見ていきますが、この年代のキットを製作するに当たってはバリこそ控えめ(そこは流石にタミヤですね)ではありますが、パーツ各部のパーティングラインやマクレを処理するのが大事な作業となります。特に車体と砲塔の外縁はこれが多く見られますので、アートナイフのカンナ掛けで綺麗な直線と面を出しましょう。その際大変に注意すべきことはうっかり砲塔と車体を組み合わせてしまいそのまま小一時間ほど悦に浸る危険性が楽しいということでありますぶんどどー。


素組とはいえ車体下部の穴はふさいでおきます。ひっくり返して裏側を見せるつもりでもなければただふさいでおけば十分かとは思われますが、ことモーターライズ派のひとにはゲキドられそうな処置ではある……

そうそう、中央部分にまるでエンジン隔壁のように存在するB8パーツが楽しいのですが、取説のイラストが前後逆になってますのでご注意。40年近い歳月には間違ったまま組んだ人も多かったろうなあ。


側面の開口部分もやはり同様にふさぎます、またこの際中央部分はのちのち目立つので表面処理が必要ですが、起動輪部分の段差は(これ気になるひとはものすごく気になる箇所とは思いますが)経験上起動輪とキャタピラ装備したらどうせ全然見えなくなりますのでこのまま放置だ。


転輪や誘導輪のフチにはパーティングラインが強めに出ていますのでここもカリコリ落としましょう。ディティールなのか不要なのか、初見では判断に困るところだとよく言われる。


車体後部の装備品ではB2パーツの取り付け具合がいまひとつ判り辛いのですが、実はこの部分はボックスアートが格好の資料となります。いろんなところに情報があるのは昔からタミヤプラモの良い点ですね。


足回りのダンパーなど複雑な機構が一体成型されているのは如何にも古めかしい戦車プラモですが、転輪組み付けちゃうとあんまり気にならないもんです(個人の感想です)


60口径と長砲身の76.2ミリT94戦車砲。シャーマン・イージーエイトよりもさらに強力なこのサイズの戦車砲としては屈指のもので、デンマークや台湾など90年代以降も本車の使用が継続されたのは火力に於いて一定の性能を保っていたからでしょうか。


防盾カバーが省略されているのは昔から言われる本キットの弱点、そして取説に示されている「ポリ袋と太い糸」でこれを自作するのはおよそ人間技では不可能だと、それも昔から言われています。現在ではエポパテや木工ボンド浸みティッシュなどいくつか技法もありますが(AFVクラブのパーツタミヤキットに使えるのかな?)今回は敢えて、敢えてですぞ何もしませんッ!!



……いや、実車の画像検索したら結構な割合で防盾カバー未装備の車両がヒットしたんで

……それらが全部退役した展示車両だったことはさておき


後方に長く伸びた砲塔バスルは弾庫ではなく大型の無線機を格納するためのもので(英語ですがこちらのサイトに内部図解がいろいろ載ってます)、いかにも偵察戦車という装備なのかな。ところで資料によって砲塔同軸機銃が12.7mmだったり7.62mmだったりするのはなんでなんだろう?日本語版ウィキの記述もヘンなんだよなー。


竹内昭大先生と“日本戦車の父”原乙未生氏による出版共同社「日本の戦車」上巻では本車の機銃装備については12.7mm×2となってますねふむふむ。


件の英語サイトとキット取説でも同軸機銃については12.7mmになってますね。取説の実車解説といえば末尾が「M41型軽戦車は第一線から後退しM-551型軽戦車がこれに代わり大量に配備されることになるであろう」で締められていていろんな意味で泣けるー(ノ∀`)


どうやら「初期の車両は50口径を装備していたが後には30口径に変更した」が、正解のようです(Picture 4:の解説参照)。あらためて調べてみると知らないこと多いなこの戦車。


車体側面の張り出しを無くして幅広いフェンダーを装備するのは戦後第一〜第二世代のアメリカ戦車にはよく見られる配置。そこから外れたM551シェリダン空挺戦車は独特の設計思想による特異な存在の戦車なのでしょうねえ。


後部フェンダー上のマフラーカバーは大柄で、焼け塗装や錆のテクスチャー表現が見栄えするものでしょう。補助マフラーが存在しないのはまあ気にするな。この時代のキットを組むには思い切りも大事だ。


砲身トラベリングロックはアーム部分のみ可動します。


キャタピラ巻いて砲塔乗せれば完成です。コンパクトな箱サイズに比して大柄な車体は軽戦車らしからぬ迫力(この時期の中戦車はM47や48ですから当然ちゃ当然ですが)で、リーズナブルな価格に対しての達成感・お得感の強さは同時代のMM諸製品のなかでもひときわ大きなものでしょう。


本車が陸上自衛隊に供与されたのは戦後国産初の61式戦車の配備が始まったのとほぼ同時期のことになります。戦車の国産か輸入かを巡る議論や25トン級戦車の妥当性などの事情からか本車について「隊員には評判が悪かった」旨の伝聞も散見されます。しかしクロスドライブ式トランスミッションによる軽快な機動や一体型のパワーパックによる整備性の高さは当時の日本の戦車技術をはるかに凌駕するもので、この戦車を配備運用した実績は後々の日本の戦車技術に大きな影響を与えているでしょう。(例えばバーハンドルによるスムーズな操行動作は74式戦車にそのまま受け継がれています)日本の戦車開発史を振り返ればやはり米軍供与戦車の存在は傍流といえますし纏まった資料も少ないのですが、伝聞はともかくとして実際に1960年代にこの戦車を運用されていた方の言葉としては「もし、戦場に乗って出るならばM41か、61式か、意見の分かれるところであった」という回想があります。


昔からあるキットなので省略されているディティールを補うためのレジンやエッチングなどのアフターパーツも各社からいろいろ出ていたりはします。しかし精密性を求めるならば本製品よりはAFVクラブのキットをベースとして製作したほうが何かとスムーズでしょうから、こちらはこちらでキットの素性を素直に楽しむのが嗜みというものでしょうな。


陸自に供与された車両は元々西ドイツ軍が使用していた中古車両であり、また退役後は多くが台湾(中華民国)陸軍などに再供与されたこともあって国内に現存する車両がほとんど無く(皆無か?)、三代続いた米軍供与戦車の中でもマイナーな存在となっているM41軽戦車ではありますが、タミヤのキットは本車が多くの人々に親しまれていた時代の記憶を今に伝える存在なのです。ところで日本からの再供与先としてタイ陸軍もあるんだけれど、ひょっとして数年前のクーデター騒ぎでバンコク市内に展開していた車両も、素性をたどれば富士の裾野でブイブイ言わせてた個体なんだろうか?


低く構えた車体と長く伸びた砲身はある種の年代・世代にとっては「いかにも戦車らしいかたち」に見えるものです。本車が導入された1960年代にはまだ陸上自衛隊の観閲式が都内の神宮外苑で行われていたこともあり、現代の事情と比べて情報面では少なくとも、一般社会との距離的には近しい存在の戦車だったのかも知れません。これだけ方針が長いとリモコンタンクの「画鋲で風船割りゲーム」では大活躍したであろうなあ……

ほんでやっぱり見えないものでしょ起動輪のところ(笑)


付属フィギュアの車長はともかく歩兵二人はいろいろと引っかかります。本車の試作型であるT41E1戦車が朝鮮戦争で実戦テストされたことを受けてのものと思われますが、生産型のM41は朝鮮半島には送られていないのでなんとも微妙で、おまけにこの二人って朝鮮戦争じゃなくて第二次大戦のノルマンディーにいたひとでしょ!


完成後も車長ハッチは可動するのでボックスアートの体勢を再現することが出来るのは良いですね。車体を後方からみた珍しいアングルで、ヒットアンドアウェイを旨とする偵察戦車ならではのスタイルか。


軽い気持ちで組んでみましたが結構面白い存在に気づかされたような気分。どこかで陸上自衛隊の供与戦車について詳しくまとめた資料本とか出してくれないかな。運用の実態とか整備体勢とか、国産戦車とは違ったエピソードが見えて来るような気がします。


いまのご時勢にわざわざこの時代のタミヤキットを素組みするのは例えて言うならラジオ体操みたいなものです。ラジオ体操でオリンピックのメダルは競えませんが、真面目に取り組めば日々の健康や心身の安定にはとてもよいものですね。

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